月刊誌「りぶる」特集 9月号より
今年は、大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災から100年の節目です。谷公一内閣府特命担当大臣(防災、海洋政策)に、関東大震災の概要や被害状況を踏まえて、次世代へつなぐ教訓や災害への備え、国土強靱化の取り組みなどについて伺いました。
―関東大震災の概要について教えてください。
谷内閣府特命担当大臣(以下、敬称略)関東大震災は、今から100年前の大正12(1923)年9月1日、11時58分に発生しました。この地震で約10万5000人が亡くなり、明治時代以降の日本では最大の災害となりました。
震源は相模湾北西部で、地震の規模(大きさ)を表すマグニチュードは7.9と推定されています。これは、平成7(1995)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災に比べて、約8倍の大きさだったとみられています。
―各地の震度や被害は、どのような状況でしたか。
谷現在の東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県、山梨県で震度6(現在の震度6弱から震度7に相当)を観測した他、北海道道南から中国・四国地方にかけての広い範囲で震度5から震度1を観測しました。
特に激しい揺れに見舞われた首都圏では、家屋の倒壊や地盤の液状化、交通機関などの被害が相次ぎ、電気やガス、水道といったライフラインも寸断しました。
また、沿岸部では、10メートルを超える津波が押し寄せた地域もあります。
さらに神奈川県の根府川では大規模な土砂災害が起こり、駅に止まっていた列車がホームごと海に流されるなど、各地で多岐にわたる甚大な被害がありました。
―地震が発生したのは、昼食の支度の時間帯でしたね。
谷はい。家庭や飲食店で、かまどや七輪に火をおこしていたこともあり、同時多発的に火災が発生しました。当時の東京市(現在の千代田区、中央区、港区、台東区など)では折からの強風によって火はたちまち燃え広がり、延焼火災が2日近く続きました。
関東大震災直後、東京では家屋の倒壊や火災などによって約100万人が避難したと推計されています。当時は、災害時に避難する場所等は定められておらず、人々は出火状況や風向きなどを見ながら、比較的広い場所に避難。上野公園には、約50万人が避難したといわれています。
しかし、せっかく避難したにもかかわらず、避難先で二次災害に見舞われた場所もありました。陸軍被服廠跡地(現在の墨田区)では、荷車で持ち込んだ家財道具などに火が燃え移り、約3万8000人が亡くなりました。
―阪神・淡路大震災や、平成23(2011)年に発生した東日本大震災と比べて、被害状況に違いは見られますか。
谷一つは、死因です。関東大震災は、今、述べました火災による死者・行方不明者が9万1000人を超え、全体の約9割を占めています。一方、阪神・淡路大震災は約7割が窒息や圧死、東日本大震災は約9割が溺死でした。
もう一つは、地震のタイプです。関東大震災と東日本大震災は、海のプレートと陸のプレートの境界に位置する海溝沿いで発生した「海溝型地震」であり、「直下型地震」の阪神・淡路大地震に比べて被害の範囲が広いのが特徴です。
―経済的被害はいかがでしたか。
谷金額に換算すると、東日本大震災が約16兆9000億円、阪神・淡路大震災が約9兆6000億円、関東大震災が約55億円です。
関東大震災は他の二つに比べると金額そのものは低いですが、GDP(国内総生産)に占める比率はもっとも高く、当時の国家予算の約4年分に匹敵する膨大な損失を被りました。
人的・物的被害の甚大さに加え、社会経済に与えたインパクトの大きさからも、極めて大きな災害だったことがお分かりいただけるのではないでしょうか。
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