令和3年の大河ドラマは、埼玉県深谷市出身の渋沢栄一が主人公。
埼玉県第11区選出の小泉龍司衆議院議員のインタビューとともに、深谷市内にある渋沢栄一ゆかりのスポットを埼玉県連女性局の皆様がご紹介します。
深谷市のある埼玉県北部ならびに秩父・本庄の魅力や特徴について、埼玉県第11区選出の小泉龍司衆議院議員にインタビューしました。
令和3(2021)年の大河ドラマは、〝近代日本経済の父〟や〝日本資本主義の父〟などと称される実業家の渋沢栄一が主人公です。
渋沢栄一とは、どのような人物なのか。その功績を紹介します。
渋沢栄一は天保11(1840)年、現在の埼玉県深谷市血洗島の裕福な農家に生まれました。元治元(1864)年、京都で一橋慶喜(後の江戸幕府第15代将軍)に仕官。慶応3(1867)年には、将軍の名代としてパリの万国博覧会に赴く徳川昭武(慶喜の弟)に随行して渡仏します。およそ1年間のヨーロッパ滞在中に、栄一は進んだ社会制度や思想、文化を目の当たりにし、〝チョンマゲ〟を切って洋装に変えます。そして、議会や取引所、銀行、会社、工場、病院などを積極的に見学しました。この視察が、栄一の人生を大きく変え、帰国後に日本初の株式会社ともいわれる「商法会所」を静岡に設立します。
明治2(1869)年には大隈重信に説得されて大蔵省(現・財務省)に租税正として入省。翌年、多くの改革に取り組む中、官営の富岡製糸場の設置主任として、その計画や調整に奔走します。しかし、財政改革において大久保利通らと意見が合わず、4年で辞職。実業家に転身し、明治6(1873)年には日本初の銀行となる第一国立銀行(現・みずほ銀行)を設立します。ちなみに、英語の「Bank」を「銀行」と翻訳したのは栄一といわれています。その後、抄紙会社(現・王子ホールディングス)、東京株式取引所(現・東京証券取引所)、日本煉瓦製造会社(後に日本煉瓦製造株式会社)など、多種多様な約500社の企業の設立に関わりました。
栄一は、幼い頃からいとこの尾高惇忠に孔子の『論語』をはじめとする学問を教わりました。生涯を通じての基本理念は、この『論語』の精神(忠恕の心=真心と思いやり)にあり、単なる利益追求ではなく、〝道徳経済合一説※〟による日本経済の発展を願っていました。
また、困窮者や孤児、老人などの保護施設である養育院(現・東京都健康長寿医療センター)の院長を約50年間務めた他、児童養護施設や知的障害児施設の設立に関与。商法講習所(現・一橋大学)や東京慈恵医院(現・東京慈恵会医科大学附属病院)などの大学、病院の経営にも手腕を発揮し、関わった社会福祉事業は600以上といわれています。
さらに、昭和6(1931)年に亡くなるまで、国際親善にも貢献。ノーベル平和賞の候補に2度名前が挙がりました。
このように近代経済黎明期に多大なる影響を与えた栄一は、令和6(2024)年から発行される一万円札の新しい顔にも決まり、注目を集めています。
生誕地の血洗島にある旧渋沢邸「中の家」。母屋は、屋根に「煙出し」と呼ばれる天窓が付いた典型的な養蚕農家の形をしている。写真の母屋の他、敷地内には副屋、米や藍玉を貯蔵していた土蔵などがある。
正門。扉は、ケヤキの一枚板が使われている。左端には、文筆家・幸田露伴書の「青淵翁誕生之地」の碑が立つ。青淵は、渋沢栄一の雅号。その由来は、生まれた家の近くにあった「上の淵」と呼ばれる青々とした深い淵といわれている。
およそ500の会社および600の社会公共事業の設立に関与し、「日本資本主義の父」と呼ばれている渋沢栄一は「論語と算盤」を提唱しました。
道徳と経済が合致すべきという今から100年以上前の思想ですが、アフターコロナで持続可能な経済社会が求められるからこそ、今の時代でも活用すべき行動指針でしょうか。
1916年に出版された講演集である『論語と算盤』に栄一は、人為的な逆境に立たされたときに以下の心構えを持つべきだと示しました。
「自分からこうしたいああしたいと奮励さえすれば、大概はその意のごとくになるものである。
しかるに多くの人は自ら幸福なる運命を招こうとはせず、かえって手前の方からほとんど故意にねじけた人となって逆境を招くようなことをしてしまう。」【大丈夫の試金石】
自分が「できない」多くの理由でネガティブな気持ちの鬱憤で更なる逆境を招くより、上を向いて歩くことで今日よりもよい明日の幸福な運命を拓くことを唱えた渋沢栄一。
この精神を、現在に私たちは蘇らせるべきではないでしょうか。
渋澤健(しぶさわ けん)
シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役、コモンズ投信株式会社取締役会長。複数の外資系金融機関およびヘッジファンドでマーケット業務に携わり、2001年にシブサワ・アンド・カンパニー株式会社を創業し代表取締役に就任。07年にコモンズ株式会社(現コモンズ投信株式会社)を創業、08年に会長に就任。経済同友会幹事、UNDP(国連開発計画)SDG Impact Steering Group委員、東京大学社会連携本部シニアアドバイザー、等。著書に「渋沢栄一100の訓言」、「SDGs投資」、「渋沢栄一の折れない心をつくる33の教え」、「超約版 論語と算盤」、他。
深谷市の歴史や魅力を身近に感じるおすすめスポットを埼玉県連女性局が紹介します。
★実業家としての出発点となった生誕地
生家は、栄一が慶応3(1867)年にヨーロッパへ渡った後、妹・てい夫妻が継ぎました。火災で焼失後、明治28(1895)年に建て直された母屋には、東京で活躍していた栄一が帰郷した際に寝泊まりした部屋が残されています。
渋沢栄一記念館の澁澤武雄館長(右)、ガイドの原島 正さん(右から2人目)と。「栄一の生家は、家業の藍玉(藍の葉を発酵・熟成させた染料の一種)と養蚕で財を成した農家でした。この辺りを開発した渋沢一族の一つで、地理的に真ん中にあることから『中の家』と呼ばれています」と澁澤館長。昭和60(1985)年に「学校法人青淵塾渋沢国際学園」が設立され、母屋は外国人留学生の学び舎としても使用された。
DATA
深谷市血洗島247-1
048-587-1100(渋沢栄一記念館)
料:無料、時:9時~17時(入館は16時30分まで)、
休:年末年始 (12月29日~1月3日)
★
渋沢栄一が設立した第一国立銀行をイメージしてつくられた時計塔。通常は、深谷市のイメージキャラクター(ゆるキャラ)「ふっかちゃん」(1)だが、毎時0分(7時~20時および23時)になると「青い目の人形」のメロディーとともに、下からすっと栄一が現れて(2)入れ替わる。日米の友好を願って、右手に「市松人形」、左手に「青い目の人形」を持っている(3)
★郷土の偉人を知る、見る、聞く!
平成7(1995)年11月11日、渋沢栄一の祥月命日に開館。1階の資料室には、写真やパネル、生前に書いた書など、栄一の生い立ちや功績を伝えるさまざまな資料を展示しています。2階の講義室で1日9回行われている、渋沢栄一アンドロイドによる講義も必見。アンドロイドは、顔や手の質感はもちろん、しみやしわなどの細部にまでこだわって再現しています。
館内には、83歳で講演をした時の肉声を聞けるコーナーもあります。
「吉田松陰の志を継ぐ維新志士たちを数多く輩出した松下村塾のように、かつては深谷にもたくさんの私塾がありました」と澁澤館長
「栄一は実直なお父さん、慈悲深いお母さんの元で育てられ、いとこで後に富岡製糸場初代場長となる尾高惇忠に学問を学びました。栄一がたくさんの功績を残せたのは、徳川慶喜、大隈重信、伊藤博文など、良い人との出会いがあったから。そして、何よりも強運の持ち主でした」と塚田 允解説員
DATA
深谷市下手計1204
048-587-1100
料:無料(2日前までに要予約)、時:9時~17時、
休:年末年始(12月29日~1月3日)、臨時休館あり
★渋沢栄一ゆかりの建物を移築復元
誠之堂(重要文化財)は、大正5(1916)年、渋沢栄一の喜寿(77歳)を記念して、栄一が初代頭取を務めた第一銀行(前・第一国立銀行、現・みずほ銀行)の行員たちが出資して建てたレンガ造りの建物。清風亭(埼玉県有形文化財)は、その10年後に、2代目頭取・佐々木勇之助の古希(70歳)を祝って建築された鉄筋コンクリート造です。この二つの建物は、もともと東京都世田谷区にありましたが、約2年の解体・移築復元工事を経て、平成11(1999)年11月から一般公開されています。
外観はイギリスの農家風でありながら、レンガは縦横交互に積んでいく“フランス積み”。よく見ると、縦に積んだレンガはやや飛び出していて、色も白っぽかったり、黒っぽかったり。「あえて色むらのあるレンガを使うことで、茶一色では出せない趣のある建物にしています」と田島さん
「実は、誠之堂と清風亭は平成9(1997)年に取り壊しの危機に。そのことを知った当時の深谷市長は、翌日に現地調査を行い、移築復元することを英断したそうです。また、移築の際には、各所から『上敷免製』の刻印のあるレンガが発見され、深谷産であることが判明しました」とガイドの田島岳洋さん
清風亭スパニッシュ瓦やステンドグラスを使用したスペイン風のデザイン。「歌手の安室奈美恵さんのミュージックビデオに登場したこともあり、最近は老若男女を問わず、来場者が増えています」と田島さん
DATA
深谷市起会110-1(大寄公民館敷地内)
048-577-4501(深谷市教育委員会文化振興課)
料:無料、時:9時~17時(入館は16時30分まで)、
休:年末年始(12月29日~1月3日)
★レンガの大量生産を実現し、日本の近代化を支えた
明治20年(1887)年、渋沢栄一らが深谷市に設立した日本初の機械式レンガ製造施設です。レンガ工場(上敷免工場)は翌年から操業を開始し、最盛期には6基の窯が稼働。製造されたレンガは東京駅や旧東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)、日本銀行本店など、さまざまな西洋建築に使われました。日本煉瓦製造株式会社は平成18(2006)年に約120年の歴史に幕を降ろしますが、現存する「旧事務所(現・日本煉瓦史料館)」「ホフマン輪窯6号窯」「旧変電室」「備前渠鉄橋」の旧煉瓦製造施設が重要文化財に指定されています。
(現・日本煉瓦史料館)
明治21(1888)年、レンガ工場の建設や製造指導に当たったドイツ人技師チーゼの居宅兼事務所として建てられた。「栄一が実家近くの上敷免を推薦したのは、古くから瓦生産が盛んで良質な粘土が採れたこと、そして舟運が発達していたからです」と深谷市教育委員会文化振興課主任の幾島 審さん(右)
明治40年頃の風景を再現したジオラマ。「原料となる土は付近の農家の田んぼから入手しました。工場は、土を無償で提供してもらう代わりに、農家が水路を整備する費用を負担しました」と幾島さん
舟に代わって、レンガを大量に輸送するため明治28(1895)年、深谷駅から工場までの約4kmの区間に日本初の専用線を敷設。その際、備前渠に架けられた鉄橋で、橋台には工場で焼かれたレンガが使用されている
DATA
深谷市上敷免28-10
048-577-4501(深谷市教育委員会文化振興課)
料:無料、時:9時~16時(入館は15時30分まで)
休:月曜~金曜(年末年始を除く土・日曜のみ開館)
★深谷ねぎをはじめ、地元の特産品が充実
新鮮な採れたて野菜が並ぶ「農産物直売センター」。イチオシは、生産者が手間を惜しまず、丹精込めて栽培した“安心・安全”な深谷ねぎ。冬は、ヤマトイモ、ハクサイ、ダイコンなどもおすすめです。併設の「ふるさと物産センター」は、漬物や蔵元直送の地酒、渋沢栄一をモチーフにした銘菓などの品ぞろえが豊富です。
深谷は漬物の生産が関東一といわれ、売り場では約200種類の漬物を購入できる
市内酒蔵3社の直送地酒なども
DATA
深谷市岡688-1
048-585-5001
農産物直売センター:8時30分~19時
ふるさと物産センター:7時~19時、休:無休
★ふっかちゃんミュージアムを併設
平成29(2017)年5月にグランドリニューアルオープン。1階には、地元の人たちと共同開発した商品や特産品が人気の「ふかやセレクト」、国道140号沿い(秩父、長瀞エリア)の魅力ある商品を集めた「R140ショップ」があります。
2階には、深谷市のゆるキャラ「ふっかちゃん」のミュージアムがあり、ぬいぐるみや缶バッジなど、ここでしか買えない限定グッズも豊富です。
深谷ねぎなどを使った常時130~150種類の調味料や地元の菓子などが並ぶ
深谷・秩父の漬物、地酒・ワインコーナーも充実
ふっかちゃんグッズ&限定商品の取り扱いは、約300種類!
DATA
深谷市小前田458-1
048-584-5225
時:8時~19時(ふっかちゃんミュージアムは10時~18時)、無休
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