わが党は総選挙投開票の翌日となる10月28日に臨時役員会を開催し、結束を確認した
衆院総選挙後に行われる特別国会では、衆参両院の国会議員による首班指名選挙が行われます。衆院規則では1回目の投票で投票総数の過半数に達する議員がいない場合、上位2人による決選投票を行うと定められています。
戦後、衆院で決選投票が行われたことは4回あり、わが党が立党してからは2回行われました。昭和54年はわが党から2人の議員が候補となり、決選投票で大平正芳総裁が指名され、野党は決選投票で無効票を投じました。2度目は平成6年の村山政権誕生時で、野党だったわが党が政権に復帰しました。
また、わが党は平成5年の細川内閣成立の際に、比較第一党でありながら、首班指名で敗れ政権の座を失いました。細川連立政権は約8カ月で崩壊し、政局は極めて流動化。わが国の経済が停滞した一因となりました。
自公両党は過半数に達していませんが、わが国は戦後最も難しい安全保障環境にあり、経済再生に向けた歩みも正念場を迎えています。
この時期に政治的に混乱することは、国民生活に大きな影響を与えることから、石破総裁は「一時たりとも国政の停滞は許されない」として、引き続き政権を担う覚悟を示しています。今回の総選挙で比較第一党を維持したわが党は、令和6年度補正予算や来年度予算を着実に成立させ、国民生活を守るために、野党とも真摯に協議を重ね、政治の停滞を招かず着実に前進させていく責任を果たしていきます。