戦没船員の碑
毎年、防衛大学校卒業式に出席した折には、近くの観音崎灯台に立ち寄る。美しい灯台から浦賀水道が一望でき、そばには「戦没船員の碑」が建っている▼「戦没船員」とは、戦時中、軍に徴用された民間船等で戦死した船乗りたちだ。沈没は7千隻以上、戦没船員は6万人を超えて多大な犠牲を出した。日本は脆弱(ぜいじゃく)なシーレーン(海上交通路)を破壊され、東南アジアで得た資源を運べなかった。食糧や武器弾薬も補給困難となり、兵士は飢餓に苦しみ、衰弱死していき、継戦能力を奪われた日本は敗北へと追い込まれた。あの戦争の尊い犠牲を思う時、現在の日本が原油約99パーセント、食料約60パーセントを輸入に依存していること、また中国が南シナ海を軍事力で圧迫している事実を憂慮せざるを得ない。台湾危機が起きれば、日本のシーレーンは危機に陥る▼海洋国家日本を守るため、いかにシーレーン防衛が大切か「戦没船員の碑」を見るたびに深く考えさせられる。私も港湾都市である横浜の代議士として「自由で開かれたインド太平洋戦略」を推進し、シーレーン防衛に全力を尽くしたい。