私は、先生方が当選された参院選をのぞいてみたくて、県連に自ら電話して学生部に入れてもらいました。そもそも先生方は、どうして政治家や国会議員になろうと思ったんですか。
私の場合、中学生のときにドイツに住んでいて、東西の壁が崩壊した翌年にベルリンに行ったら、旧東側でアイスクリームとして出されたものがどう見てもかき氷だった。政治体制の違いで明暗が分かれることが大ショックで、政治家の仕事って大事だなと憧れました。
だけど、「地盤、看板、かばん」まるでなし。ごくありふれたサラリーマンの息子ですから、なかなか現実的ではありません。想いを秘めながら、業界を変革させる会社を起業して、株式上場を果たしました。節目の40歳を前に、そういった経験を生かしてチャンスをいただけるかもしれないと、挑戦に踏み切ったんです。
私も元榮先生と同じで、大学のサークルで合宿していたとき、偶然テレビで壁が崩れる映像を見てすごい衝撃を受け、そのとき、自分は絶対に国際政治に携わる仕事をしようと決意しました。
ですから、外交官は天職だと思っていたのですが、選挙に出てくれという依頼をある日突然いただいて。民主党時代から安倍政権に変わって積極的かつ戦略的な外交が展開できるようになり、政治が違うと外交もこうも違うのかと思っていた矢先でした。また、世界の女性活躍の仕事をしていたので、日本は女性議員が少なすぎるという問題意識もありました。
とはいえ、自分が出るとは考えてもみなかったので、信頼する方に相談に伺ったところ「政治家に向いている」と言われ、それでも相当長い間悩みましたが、人生は一度だ、チャレンジしての後悔の方がしないでする後悔よりいいと思って決意しました。
私は38歳のときに選挙への出馬を決めたのですが、それまでずっと政治家には絶対ならないと思ってきました。私が小学2年生のときに父が国会議員になり、選挙には血のにじむような苦労があるし、母が本当に苦労をしていることを知っていましたから。
天命のような出来事が2、3回重なって考えが変わり、政治の道へ進むことに決めました。結局、政治にしか障害のある子供の医療・福祉は守れないし、政治でしか医療の改革はできない。じつは両親にも相談せず1人で決めたんです。天命から背中を押されているんだなと、腹を決めて飛び込みました。
僕の場合はそもそも政治とは縁遠くて、競技引退後は小さなNPOを立ち上げて、全国のビーチバレーのイベントに出向いたり、子供たちとのスポーツ対話などの社会活動をしていました。2020年の東京オリンピックが決まったのが契機となって、政治家の方々と多く接する中で声をかけていただいたわけです。僕自身は政治に対するアレルギーはなかった。
ただ、嫁さんとの取り決めで政治はノー。しかし、俺はここでチャレンジすべきと判断して、オーケーしました。
本当?(笑)奥さんの気持ちは?
正式な回答はしていませんでしたが、自分の中でしっかり決めたあと、最終的に家族の同意を取った。変にフラフラしてどうしようかと聞いていたら、逆に反対されていたかもしれませんね。
※この座談会は平成29年7月25日に自由民主党本部にて行われました。